再演論①(橋本)

公演が間近に迫ってきたが、できれば公演稽古中に纏めておきたい事案が1つ。
これが表題の「再演論」。
別に誰に宛てた文章でも無いのだが、公演前に纏めておくことで、上演後に再考するその変遷も含めて考察する為に際に役立つと考えたからだ。
稽古中に振り返っている暇なんかナイだろという気もしないではないが、「再演」という「新作」ではない作品を作っている最中にしか書けない生生しさもあるだろうと思うのである。
さらにこれから公演をご覧いただく演劇関係者に、「再演作品だから観たい」と稀有で有難い興味を持って頂いた方が少しでもいるのなら、その補完としての意義もあればと考えています。
まどろっこしいが順を追って再演の必要性、方法等を、ざっくばらんに追っていきたい。
(これから再演を行う予定の人に、ほんの少しでも考察のキッカケになれば尚良いですが、そこまでの自信はないです。)

なんやかんやと演劇を10年程続けてきている訳ですが、自分の作品を再演する機会を得たのは今迄3度。
1度目は尼崎ロマンポルノの第三回本公演「機械少女」。
2度目は本公演ではなく、短編として上演機械のあった「ザグレブ」
そして今回上演する「見参!リバーサイド犬」である。

「機械少女」は、ウイングフィールドの再演博に招致していただいての公演で、特に再演する予定も無かったのだが、折角の機会なのでと上演することになった。
「ザグレブ」は田米克弘の一人芝居を芸創コネクトという企画に出す為に上演したもので、コネクトではあえなく落選したが、個人的に好きな作品だったので、その数年後に短編集を公演する機会でその一作品として再演。
「見参!リバーサイド犬」は、自分の中で完成度の高いと思う作品をより質の高いものとして、そして定番作品として定着させたいという意図のもと上演を計画した。その意図は現在大きく変質しているが、それは追って記載予定。
それぞれ全く違った意義を持つ再演なので、つまり「再演」と一括りにするとかなり雑な論になる事は目に見えているのだが、ゆっくりと纏めていきたい。

再演を行う意義は上記の様に自分が経験しただけでも多様だから(他にも観客に求められたから、予算がおりたから、戯曲賞を取ったから、台本が書けないから等々があるのかな)、「再演」という事だけに意義を追ってもあまり意味は出てこないと思われる。
では、再演はするべきか、しないべきか。
これも個人の感想や方法論に依拠するので何とも言えないが、再演という機会は「戯曲」という方法を取っている限り必ず有りうる事なので、するべきかしないべきか、ではなく、する場合にどういう対策を取れば良いのか、なるべく誰にでも利用できる形で具体的に説明したい(希望)。
まず三作品を上演した(する)上で共通する自分の感想だが、再演は、意図せぬ方向に作品の舵が流れていきやすく、上手く波に乗り切れない可能性が高いが、経験から導き出していくと作品を波に乗せる方法は確実にある、という事だ。
本来なら自分以外の作者の再演に対する感想、意見等も聞いて纏めていく必要性があるのだが(どうしても私の作品が稚拙だからそうなるのだという結論に流れていく為)、残念ながらそんな時間は無いので、自分の作品から導き出される法則を探っていきます。まずこの文章は第一義として自分の為に書いているのだから。
まず「機械少女」の例から上げていこうと思います。
結論から言うと、機械少女は個人的にはあまり上手くいかなかった再演の例であると今は思うのである。
上手くいかなかったというのはあくまで「再演」という意味合いでの事で、作品として完成はさせたつもりだし、観客や出演者、スタッフの感想とは関係ありません。
それに感想は観ていただいた方それぞれが持つべきものなので、面白かった、面白くなかった等の感想ともあまり関係ありません。
では、何が上手くいかなかったのか。
1つは「テーマの賞味期限切れ」、2つめが「演出変更点の台本とのミスマッチ」、3つめに「初演の幻影」があがります。

続きます。
元気があれば。

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