メガネ理論(橋本)

04-20@20-04-18-835

稽古は順調に進んでいる。

台本はまだ全部お渡し出来ていないが、ちゃーんと頭の中には出来ている。
とは流石に言えないのだが、まぁ原作がかんなり面白いので、改変するからにはという意気込みや個人的な意気込みが空回りせぬようしっかりと手触りを確かめながら歩を進めている。
八尾プリズムホールは鬼のように客席があるので(ふっかふかですよ)、早く上げて宣伝に勤しみたい気持ちは山々なのだが、私は演出なので、制作部にはなるべく口は挟みたくない時期ではあるのだが、やはり気になる。
お客さんが来なかったらね、幽霊みたいな演劇になっちゃうわけですからね。

「見た?」「見てない」「ホントはやってなかったんじゃない?」

恐ろしいわ。

良くない作品が出来るよりよっぽど恐ろしいわ。
(良くない作品を大勢の前で上演するのも随分恐ろしいが)

 

「メガネ理論」なるものを発見した。
見えざる「幽霊」に立ち向かうにあたって必要だったのだ。

私は幽霊が見えない。見えたことない。正直見たくない。
ボットン便所が怖いという理由で、その場でうんこを漏らしたぐらい怖がりだったし。
(ボットン便所は人のウンコだらけだから怖いのであって、幽霊が怖いの類ではない。結果自分のウンコまみれになったのではあるが)

しかし私の周りには幽霊が見えたことがあるという人が結構いる。
皆さんも是非勇気を出して「幽霊見えたことありますか?」と聞いていただきたい。
6割~9割は「ない」「ないっす」「いないっしょ」「大丈夫すか?」であるが、
おずおずと「私あるかも」と手を挙げてくれる人は必ず現れる。

前に宗教くさいセミナーに潜入したことがあったのだが、そこにいる方々は10割「いるよ!」であった。
私以外全員見えてるのである。
これはもう見えていない方がオカシイ世界である。
私はこの世界では目が悪い、という事になる。
この世界で生きやすく生活するにはメガネをかけなければいけない。
裸眼では危険である。
幽霊にぶつかって喧嘩を売られるかもしれない。
財布をすられるかもしれない。
好みのタイプの幽霊がいるかもしれない。
チケット買ってくれるかもしれない。

私は目が悪い。
裸眼0.2ぐらいで乱視も入っているので、メガネを外すと世界は水中みたいに曇ってしまう。
メガネをかけると視力は1.2ぐらいになる。
乱視も矯正され、街中に掲げられている看板もはっきり見える。

メガネを作る際「調度良い」視力に調整して貰うことになる。
見え過ぎると、近くが見えづらくなったり、頭が痛くなったりとあまり良いことはない。
だいたい0.8~1.2ぐらいで調整することになる。
しかしアフリカ人の視力が6.0だとかはよく聞く話だ。
つまり日本で普通に生活する場合に限って1.0ぐらいが丁度よいだけであって、環境が変われば6.0でも0.01でも問題ない環境は存在するわけである。

何が言いたいかというと、一般社会は大体1.0ぐらいが調度良い世界に調整されており、幽霊が見えたりするかたは、目が良すぎたり悪すぎたりするのではないかということだ。
つまり、いるかもしれないけれど、見えないし、社会的にも必要ないから、ないことになっているのだ。
こういうと私は幽霊がいると思っている人と思われるかもしれないが、そうでもない。
幽霊がいるという人それぞれの話を深く突っ込んでいくと、原因はやはり本人の中に、もしくは本人を取り巻く環境に在るようなのだ。

メガネ理論は幽霊がいるという事を証明する理論ではなく、幽霊が存在する世界を想像する為の理論だ。
この理論を応用すると、その名の通りかなり色々な事が見えてくるのだが、あまり深く話していくと今作の核心部に触れてしまいそうなのでそろそろやめておくことにする。

俺は何を書いてるんだろうという気はしないでもないが、これが多角的に幽霊に向き合った結果である。
稽古では「手触り」を求めていきたい。
イプセンの幽霊も読み深めていくたびに、イプセンにだけ見えた幽霊が手触りをもって書かれているし。

私の性格の問題かもしれないが、やっぱり触れるものの事しか書けないし、演じれないと思うのだ。

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