他人事ではない

本公演が12月に迫ってきているんですけど、チラシがまだ完成していない。
今回は私が作成してるんですが、普段別団体さんからご依頼をいただいても「シンプルがいいんです!シンプル!シンプル!」と言って、とかく簡単に作成できる(それしかできない)チラシでお仕事にしている私ですが、自分のとこ、となると欲が出てきたりで色々と脳内クライアントさんが脳内デザイナーさんにあれやこれや言うのですが、脳内デザイナーさんは「いや出来ねぇし。そういうのしたいなら脳外デザイナーに頼め」と取り付く島もない。
なので、むちゃくちゃにシンプルなチラシが出来上がりそうです。
で、もうホトボリが冷めちゃったのかどうか分かりませんが、東京オリンピックのエンブレム問題どうなるんですかね。
前のデザインかなり好きだっただけに残念であるのは確かだ。

ここで、好きだから、の先のはなしを進めてみたい。
まぁシンプルなデザインというものはとかく他の方とカブリガチなのですが、確かにデザイナー間での微細なパクリあいという問題もあるとは思うのですが、見る側の素養、が問われているのではないかと思うのです。
素養がある人が見てもない人が見ても良いものがプロダクトデザインの真骨頂なわけですが、シンプルなロゴ、さらにオリンピックともなれば、様々な財界人から、口出されているのは明々白々なわけで。
だもんで作り手としては、同じ様に見えても、いやいやここのフォントのハネの角度見てよとか、ここが2pt左にズレている意味わかる?とか、CMKYのパーセンテージ見てから言ってくれる?とか、言いたいわけです。
言い訳?NO。それが事実なんです。
しかし見る側としては明朝体であろうがゴシック体であろうがPOP体であろうが、まぁ関係ないわけで。
いやいや、そんなん言うたら、ロゴに文字を使うだけでもカブッてますやん、と言いたくなる口をえいやと抑えて四苦八苦するわけですけど。

ここで少し演劇のはなしに戻ります。
演劇もなんとなく似ている作風、というものは存在するわけですが、セリフが全部カブッている、ということはもう奇跡なので起こりようが無い(はず)、だが、似通うことはままある気がする。
私は仕事柄年間100本近くの観劇体験をしているが、疲れていると何か全部一緒に見えてくる瞬間があるんです。
もう、舞台上で人が動いて、照明が当たって、お客さんが見てたら、もう、一緒やないかって。
いや、一緒じゃないですよ。ぼくが疲れているだけですからね?
でもね、エンブレムの問題も、そういうことに近い。
細部にこそ神は宿るはずなのですが、細部を見ないかたにも神を信じてもらえる様に、精進して作る日々なのです。
表現というのは、きっとそういう苦しいことなのです。

では、チラシを作りながら、本のことを考えます。
自分のとこのチラシを作るメリットは、頭で本のこと考えながら、チラシも肉付けしていけることですね。
作品と連動した、チラシになります。
作品を見たら、これが何を意味するのか、わかる、というものです。

それはそうと、なんで佐藤可士和エンブレム出さなかったんだろ。
あの人がやれば、世も「シンプルOK!」になったろうに。
ツタヤのポイントカードが、今の日本を象徴していると言ってもよいのに。

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