熊本に甘やかされることを教えてもらった私

橋本です。ご無沙汰しております。さて誰がここを読んでいるのでしょうか。
公演が終わったあとにも文すら寄越さぬ無礼ものに、言葉を溢す権利などあるのでしょうか、などと書いたところで、この言葉は既に読んだあなたに届いてしまっているわけです。
言葉、というものには、責任がつきまとうものです。
本、を書き始めたときには「せきにんなんてくそくらえ、くそをくっていきろ」だと思ってましたが、公演という私の言葉をさも私の言葉として吐き出してくださる俳優様には申し訳ない限りですが、俳優の口づてで私の言葉を聞いた方々から「いやそれは違うだろ」「いやいやこれはそうしたほうがええやろ」「お前のことばが嫌い」などと口々に言われることが文筆業(ごう)のあれですよと、10数年経って気づくわけです。俳優様の体を通してですよ。なんとも、くるしい。

ただしかし、今はツイッターやらフェイスブックやらで文筆業は誰しもが請け負えてしまうものとなってしまいました。
なんということでしょう。こんな嫌な世界に、皆々様我先にと進んで文筆を吐き出しなさる。
ツイッターやらフェイスブックやらも、きっと悲しんでらっしゃるはずです。

私の体をおもちゃにしないで。

さて、私は新作を書き始めております。
今回の作品は、インキーしたヤンキーの話です。韻を踏んでます。

熊本を本震とした地震がありました。
私は10数年前に熊本県立劇場の地下の和室で演劇をしていました。
とても幸せな時間だったと自信(誤字じゃないよ)をもって言える時間でした。
その時間は、どうやら、今、再現できないものだそうです。
地震があろうがなかろうが、再現できない時間だったのです。
でも、私は地震が起こるまでは、再現できると勘違いしていました。

フェイスブック、に関しても、私は勘違いをしていました。
こういう状況のとき、「彼等」に語るのではなく「彼」に語る事こそが大事なのだと気づかせてくれました。
フェイスブックありがとう。でも、いいね!はあまり好きじゃないので、たまにしか開きません。
ツイッターは、昔の2ちゃんに似てますね。皆、好きなことを言って、好きなことだけ聞いて、立ち去る。
それでいいと思います。匿名か、そうでないかの差ですから。

さて、インキーしたヤンキーは、誰に何を呼びかけるのでしょうか。
誰かに呼びかけたいのでしょうか、そもそも、誰かに知られたかったのでしょうか。
それはまだ誰にもわかりません。
ただ、インキーしたヤンキーは、この世界に確かに存在したのです。
演劇なので、させるのです。

ただ、10数年前に、私があの場所にいた、そしてあの時間は戻らない、ということは、身を持って理解できたので、だからこそ、私は今の言葉を残したいと思えています。この言葉は、あの人達に、いつか届けなければいけないものだからです。
今、届けられるものがない私だからこそ、未来に、言葉を残すのです。
今、言葉を、時間をかけて、温めて、反芻して、俳優様に吐き出してもらえる事実だけを信じて、言葉を記していきたいと思っております。

千羽鶴を今折っている人。きっとそれは間違いではない、と私も信じたいです。
間違いだという人も沢山いるでしょう。でもそれは、きっと、あれなのです。
待ちましょう。千羽鶴が羽ばたける日を。

しかし日本人がこんなにもロスを嫌うとは思わなかった。
普段流通であれだけロスが発生していても何も言わないくせにね。

SERVICEという新作で、お会いしましょう。
大阪公演だけですが、きっと、どこかで、また会える作品にします。

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