米田嶺に会いにいった(橋本)

昨日、尾崎商店の尾崎さん、阪田愛子ちゃんと一緒に。

先週新年会で二人と飲んでるときに、「実はヨネのお墓参りしてないんですよー」とぽろっと言ったら、じゃあ行こうとなり急遽ヨネのお母さんにご連絡して、たまたまお母さんもお仕事お休みだったので伺うことができた。

ヨネはもうちょっとで3年前、節分の日に先立ってしまった。

家が近いのもあったり太陽族に客演させてもらっていた事もあって、ほぼ毎週飲みにいっては演劇の話や彼女の話や好きな人の話やら、まぁ人が聞いたらどうでもいいことを話してた間柄だ。
ヨネと二人で飲んでいるところへ、同じくご近所さんの愛子ちゃんや三田村さんも合流して、4人でよく飲みにいった。
都島会、なんていう名前もつけた。
やれあの演劇はどうだこうだ、やれお前の彼女はくそだからはよ別れろだの、まぁあまり人に聞かせて気持ちの良い内容ではなかったが、私達はとにかくその時間が楽だったのだ。
身になる話なんて一つもしてない。ただそんな時間が好きだった。そういう会なのだ。

思い出を語ればポロポロ語って長くなってしまうのでこのへんで留めておく。

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というわけで、尾崎さんに車を出してもらって西脇まで2時間ほどで到着。
ヨネが散歩を担当してたという愛犬ジョーとも初顔合わせ。
嚙まれかけたけど。

おうちに入れていただいて、お母さんとも久々に再開し、仏前に手を合わせる。

家にいてもたまにヨネの事は思い出すのだが、こうして家に来て話してみると、また違った感情が浮かびあがるものである。

彼のお骨はまだご家族と一緒だ。

こうして目の前に彼の一部がある、というのは、直接的に彼に会っている気がして、うれしかった。
独りよがりに会っているんじゃなくて、なんだかやっぱり、会っているんだろう。

お母さんが纏め本になった彼のブログの文章を読む。
彼が俳優として生きるために喜んだり、苦しんだり、空虚になったりしている時間の一部を少しだけ感じる。
彼の物持ちが良いのか私の物持ちが悪いのかはわからないが、彼は私が初めて作・演出をした長編作品のパンフレットを持っていた。
そこには音響として参加していた彼の名前や大江、田米、堀江、森田なんかの名前が書かれていた。
私はすっかり忘れていた。恥じる気持ちと同時に、少しだけ自分は成長しているのかもしれない、とも思う。
きっと今はこんな作品を世にださない。でもあのとき確かに、何かを成し遂げた感じだけの「熱」を思い出した。

妹さんが知人のお葬式からの帰りで家に戻ってきた。
大変なときにごめんね。
でもケラケラと兄のバカ話を話しながら、でもやっぱり寂しそうに笑いながら、「寂しい日に酒飲んで家帰ってきたら、たまに骨舐めちゃうんです」って言ってた。

すごく、わかる。と思った。

寂しい日に家で一人、大事な人と話せない時間を埋めるために、骨を舐めたいって気持ちは、たぶん私にも沸いてくると思う。
近くにいないんだけど、やっぱり近くにいたい。そういう思いは、つらいけど解決しなくていいのかもしれない。
ただ、たまに寂しい日に骨を舐めたり、仏壇に話かけたり、お墓にいってお参りしたい、いろいろな方法で人は距離の間を紡いでいく。
その紡いでいる時間は、彼がいたから在るわけで、それは彼や周りの人が「生きた」という証でもある。
自分の大事な人がもしそうなったら、私も骨がほしい。
いつでも触れる場所に置いておきたい。

少しだけ、頭の骨を撫でさせてもらった。
こっそり匂いを嗅いでみた。会いに来るの遅くなってなんかごめんな、と、思った。

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太陽族の美術の今井さん(こぞうさん)の作品が掲載された舞台美術年鑑を読ませてもらった。
ヨネに対する愛が溢れていて、少し涙が出る。

3時間ほどお話して、家を出る。
帰り際、ジョーを撫でたら顔を舐めてくれて、腹も見せてくれた。ついでにちんちんも見えてた。
また来るよとジョーにも言って、大阪に戻る。

帰って、高校生向けの台本を勢いで書ききる。
怠惰な自分はやっぱりいるので苦労するんだけど、たまにあいつに喝を入れてもらうのもいいかもしれない。

ヨネとお母さんを繋ぐ大事な宝物、ロキシタンのハンドクリームをもらった。
大事なものなので普段使いはできないけど、寂しくなったら骨を舐める代わりに、塗ってみよう。
それも彼と会う時間の儀式として良いかもしれないと思っている。

三回忌が近い。

早い。いや、彼との時間以外はそれなりに濃密で、まだ三年、という思いもある。
ヨネとの時間だけが、早いのだ。少し悲しいけど、仕方ないかな。
50年後にも、早いね、と言ってたい。

三回忌の日、太陽族は「大阪レ・ミゼラブル」の初日だ。
「大阪マクベス」の続編でもある。あいつと、袖中でフザケあった芝居だ。
大切な芝居なので、とても楽しみだ。

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